FC2ブログ

(その2)最高裁逆転判決後の永山則夫

 0
キケ人ヤ28号

(その1)から続く

減刑判決の意味

 如何に裁判官が被告人に同情したとしても、それだけで減刑に傾くような事件でも、またそれが容易に可能な状況でもなかったはずだ。裁判長がなぜそこまで公判開始前に弁護団に「助言」に等しい示唆をしたのか。そのとき裁判所はまだ「獄中結婚」の事実も知らなかった。一審当時の地裁所長代行であった裁判長がつぶさに知っていたのは、一審の裁判の経過だった。
ただ虚心坦懐に対応すればよかった控訴審を弁護団は獄中結婚を前面に立てた情状溢れる裁判にしたのである。しかし裁判所側の基本姿勢は判決を見れば明らかだ。判決理由の第一。「…かような劣悪な環境にある被告人に対し、早い機会に救助の手を差し伸べることは、国家社会の義務であって、その福祉政策の貧困もその原因の一端と言うべく、…換言すれば、本件のごとき少年の犯行については、社会福祉の貧困も被告人とともにその責任を分かち合わなければならないと思われるのである。」
 不遇な生い立ちへの情状ではない。刑を科する前提としての「責任」、それを国も分かち合うと言っているのだ。事件にたいする責任を被告人と分かち合うという国に、死刑の判決は出せない。それは永山則夫が控訴趣意書にしたためた、自身の生い立ちを踏まえての訴えに応えていた。第一審で不採用となった「石川精神鑑定」にある一文が控訴審で取り上げられているという観測では、減刑への決定的要因を説明できない。
 理由の第二、人生の伴侶を得たこと,第三,被害者遺族への慰藉 は、理由第一の補足である。然し獄中結婚を前面に出した弁護団の弁護は、事件の原因過程に対する国家の責任に言及した画期的な第一の理由を、かすんだものにしてしまった。

01判決一覧


「生きたいと思わせてから殺すのか」

 弁護団の情状弁護は、確かに減刑判決を出しやすくしただろう。しかし過度の情状斟酌を理由に、上告審で逆転するのも、容易にしたかもしれない。そしていずれにせよ、最高裁の結果は変わらなかったのかもしれない。ただ違うのは、そのかんにKさんと弁護団が永山則夫を「思想放棄」させた、ということである。
 あるジャーナリストは、「永山はいつも“武装”していた。思想という固い鎧を身にまとい、猛勉強の末に手に入れた難解な言葉で、死刑を受ける前提で闘っていた」と著書に書いている。こう語るこの筆者は、その「難解な言葉」を一行でも理解して書いているのだろうか。永山則夫は私との面会で、マルクスが分析した「等価交換経済」以前の、原始社会に広汎に存在した「贈与経済」(=不等価交換経済)の話をし、共同体の境界上に発生した「等価交換経済」がむしろ特殊なのであって、未来の社会はより高い次元での「不等価交換経済」(利益をではなく、人と人との関係を生む交換)が実現する社会だ、という理念・理想を語ったことがある。その社会では勿論、人と人との関係の中で貧困が放置されていることもない。例え自分が死刑になろうとも、その先の未来を展望できる想像力を彼は持っていた。高裁減刑に繋がるあの一審の闘いは、勿論「死刑」との闘いだったが、単に永山則夫個人の死刑を回避するためのものではなく、彼が多くの人びとと<共に生きる>ための、思想を踏まえた闘いだった。
その彼は「Kと生きる」ために思想を放棄したのだ。あれから35年経った今、私は彼が本当にそうしたと思っている。自己の生を越えたところで<生>きる途を捨てて、生身の自分、エゴを持った個人として「Kと生きる」生を彼は誠実に選んだのだ。そして私は、この文の冒頭で述べた弁護団の「精神鑑定申請補充書」でいう「妄想」のひとつ、「自分を史上最高の科学者と評価する」傾向は、この頃から強くなったと感じている。「人変わり」は、最高裁逆転判決前から始まっていた。そして彼は些細なことで私と「対立」して私を追放し、それを運動の機関紙に公表して「勝利(最高裁での減刑維持?)を確実にした」と述べたのだった。
 最高裁で無期判決を破棄差し戻されたあと、永山則夫は弁護人に「生きたいと思わせてから殺すのか」と言ったという。その言葉は、彼が『反-寺山修司論』で語っていることに基いている。
 
 <戦犯が、生きるように考えさせられた直後に殺されていった>…(略)…この囚人を、捕虜をそうして殺すということは、社会契約が成立しないとき*の犯行で処刑されるならば、最も残酷な殺人である。(『反-寺山修司論』玄曜社、80~81頁)
* :未成年であることを指す


人は思想で生きる

 永山則夫は最高裁の逆転判決以降、精神に変調をきたしたという風評が流れている。それは、高裁無期判決を見て近づいた人たちには都合のいい言説ではあろう。しかし永山則夫がもし「狂った」とすれば、単に一旦減刑された判決が覆ったためではなく、個としての生を越えたところで育んできた「思想」を捨て、そして選んだ「生身の生」をも失ったためだ。一旦捨てた「思想」をまた身に纏うという器用なことを彼は出来ない。形骸と化した嘗ての思想の抜け殻を身に纏って彼が最も攻撃したのは、この私だった。ある時期まで私は応じた。彼にファイティングポーズをとらせ続けるために、私は言葉を返し続けたのだ。
 然し私は、そうして彼が「狂った」としても、精神異常ではなかったと思う。彼がよく人を「スパイ」呼ばわりすることが云々されるが、それは敵対者をスパイとして放逐する旧ソ連や文化大革命時の中国の文献から彼が真面目に学んだために過ぎない。例え方便でも人を「精神異常者」扱いにするのは、相手の主体性を無視して支配するためにほかならない。人と対等に、そして共に生きて行こうとするならば、人を「思想」で理解する必要がある。そしてその「思想」の地平で、<永山則夫>は生き続けているのである。





0 Comments

There are no comments yet.

Leave a reply