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ファシズムと死刑

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01東京拘置所
東京拘置所

 秘密保護法の制定や国家間紛争への軍事介入を可能にするための集団的自衛権の解釈変更、そして安保関連法の強行採決と、軍事国家への回帰を思わせる政府の動きが続き、日本は着々と「戦争」への道を踏み固めようとしている。然し道が整っても、戦争に向けて突っ走るには国としての強力な支配・統合力がなければならず、まさに「ファシズム」と呼ばれる国家体制を再構築する必要がある。

 「ファシズム」の定義は広義・狭義と様々だが、概ね、社会的・経済的危機に直面して排外的な価値観に基く強力な支配により国民の生活、文化全般を統合し、軍事的拡張、侵略に向かう反民主主義的体制、とでも言えるだろうか。定義はともかくなぜそのようなものが力を得て、過去の過ちを繰り返そうとするのか。それは、そのことによって目先の利益を得る人たちがいるからに違いない。

 資本主義はとっくに限界を迎えていると言われている。「ゼロ金利」などと言われ、「資本が増殖しない」のでは資本主義は成り立たない。それをバブルという実体の伴わない投機による地価や株価の上昇で持ちこたえ、崩壊すれば税金をつぎ込んで資産の損失を補てんする。その繰り返しで国民生活はどんどん疲弊し、貧困層が拡大している。ひとにぎりの資産階級の延命の為に、中間層までが切り捨てられる時代に突入している。

 こうした体制を持ちこたえるための最後のあがきがファシズムであり、歴史的にもそれは滅びに至ることは明らかだが、真っ先に犠牲になるのは貧困層であり、ひとにぎりの束の間の延命の為に戦争に駆り出されて殺される。「戦争の目的は国家が他国民を殺すことではない。自国民を殺すことなのだ」というシモーヌ・ヴェイユの言葉を、しっかり噛みしめるべきだろう。

 戦後日本の保守勢力は米国から原発を輸入し、核兵器の材料であるプルトニウムを生産する原発を、「平和利用」の美名のもとに次々に建造して再び軍事国家を目指そうとして来た。それが2011年3月11日の東電原発事故で危機に陥り、居直って破れかぶれの全面攻勢をかけているのが、その後の一連の動きだと言えるだろう。

 3.11原発事故で明らかになったのは、私たち日本国民全体が、安全に生き、安心して生活するという、最も基本的な人間の権利を、戦後一貫して実は無視され続けてきたのだということ。それは、世界の七割の数の国が死刑を廃止している今もなお、国権を個人の上位に置いて死刑を当然視しているこの国の、本質に触れる問題でもある。【2014年6月記に加筆】


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