FC2ブログ

オウム死刑執行をめぐる状況と日本

 1
1993年3月の死刑執行再開抗議行動を伝える『麦の会通信』
1993年3月の死刑執行再開抗議行動を伝える『麦の会通信』

 政府・法務省は7月6日、地下鉄サリン事件など一連の事件で死刑が確定していたオウム真理教の元幹部7名、26日残る6名全員の死刑を執行した。一日7名の執行だけでも「1993年の死刑執行再開以来最多」と言われ、しかも死刑の執行をリアルタイムでマスコミにリークするという異例・異常な執行であった。

転換点だった1993年3月の死刑執行再開

後藤田法務大臣自宅マンション前での死刑執行抗議
後藤田法務大臣自宅マンション前での死刑執行抗議

1993年3月27日の「死刑執行再開」は、それまで1989年11月以来日本で死刑執行が行われておらず、そのまま死刑執行が停止すれば、世界的な死刑停止・廃止に向かう流れの中で日本も事実上の死刑廃止国に数えられる可能性が窺がわれたが、当時の法務大臣後藤田正晴が「司法が決めた死刑判決を行政が執行しなければ法秩序がゆるがせになる(*)」という論理で3名に死刑を執行したものであった。この3名の内には死刑執行停止の要件にかかる心神喪失の疑いのある死刑囚もおり、それを判断すべき行政府の長が任務を「ゆるがせ」にした執行であったが、それ以上にこの「1993年の執行再開」の意味を今改めて振り返る必要があると思われる。 
(*)現在の死刑廃止国142のうち36は死刑判決があっても10年以上執行していない「事実上の死刑廃止国」である。

93年の「死刑再開」は、日本という国家社会にいわばひとつの道を選択させた出来事だったのかもしれない。―あくまで共に生きることをあきらめ、不適合者、異質者を排除し抹殺する社会へ。以降、オウム事件に始まり、通り魔事件や年少者の事件など、社会の病理を表象する事件が相次いでいる。生活レベルでの格差が広がり、生存競争の「勝者・敗者」ということが露骨に語られるようになっている。
抑圧されれば反抗するのが人間だ。出口のない怒りが自棄となって暴発するのを強権で抑えるだけの社会は、ますます他方でその抑圧を強めるという悪循環を生みはしないだろうか。そして、事件被害者の至当な怒り、悲しみを、その強権化の盾にしていないだろうか。


拙著『死者はまた闘う』2010年12月初版第2刷220頁 より引用

今回のオウム執行の何が問題か

 オウム幹部に対する一連の死刑執行について、次のようなことが指摘されている。
1.約三週間の間に計13名という大量処刑だったこと
2.執行の事実が直前にマスコミにリークされ執行が報道と並行して行われたこと
3.オウム代表であった麻原死刑囚について、執行停止要件に当たる心神喪失の疑いがもたれること
4.執行された13人のうち10人が再審請求中だったこと。
5. 大量死刑執行前夜の7月5日に執行当事者の法務大臣や総理大臣はじめ自民党議員ら40名が宴会を開き祝杯を挙げ、参加議員がその模様をツイッター配信したこと。


 執行される人数が多いだけの問題ではない。EU代表部や駐日大使が共同声明で、事件の重大性を認識しテロ行為を非難し、犠牲者と家族に深い同情を表しつつも、日本政府の死刑執行に抗議しているように、逮捕拘束した法廷で審理したうえで殺人刑を行使するのは、理性ある国家の行為とは認められないということが世界の常識となっているのだ。
しかも、再審は刑の確定者に認められた権利であり、再審請求の可否を判断するのは裁判所である。権限のない法務省が請求に理由なしと判断して本人を死刑で抹殺するのは重大な権利の侵害であり違法である。
また、麻原死刑囚の状態を法務省側は「詐病」と認定しているようだが、仮に専門医の鑑定があったとしてもそれは拘置所所属の医師であり、日弁連による2018年6月18日付勧告あるいは国連自由権規約委員会の2014年8月20日定期報告書総括所見にあるような「独立した機関による精神鑑定」を踏まえた判断ではない。執行する側の一方的な判断で心神喪失を否定しても、刑訴法479条に定めた執行停止要件を否定したことにはならないだろう。
このように、国としての理性を欠いた違法だらけの執行であり、この執行を命じた法相と最高責任者である首相を囲む前夜の酒盛りは、その本質を端的に表現しているのだが、この陰に隠れた法務行政の、1993年の執行再開以降今日に至る内実をもう少し見ておきたい。

法務省の死刑執行公表について

1993年3月の執行再開抗議デモ
1993年3月の執行再開抗議デモ。抗議は全国16都市で行われた

 今回、執行を事前にマスコミ各社が把握してリアルタイムで報道し、あるテレビ局は執行の情報が入るたびに死刑囚の顔写真に「執行」と書かれたシールを貼って「事実上の公開処刑」を演出した。法務省の発表は執行後である。
 死刑執行の情報は、過去にどのように取り扱われてきたかを振り返ってみる。
 死刑執行停止を破った前述の1993年3月の死刑執行を、法務省は最後まで「公表しなかった」のを御存じだろうか。ところが3月27日の朝刊で、執行を一面トップ記事で流した新聞が一社だけあった。読売新聞である。その後午前のテレビ、ラジオが報道を始め、午後以降各マスコミが一斉に報道している。
当時、死刑にかかわる具体的な事実を法務省は一切発表しないのが通例だった。だから死刑執行の事実は、情報を入手した死刑廃止運動が記者会見をして公表していた。93年3月の執行を特定の新聞社がまず報道したのは、この執行は運動側に先に公表させまいとする意図的なリークによるものと思われる。
運動側も独自に死刑執行の情報を入手することは困難である。当時法務省との間に定期的に持たれていた交渉をも利用して、執行を把握していた。
交渉は国会議員が仲介し、死刑制度と獄中の死刑囚の処遇に関わる全般について行われたが、法務省側は執行を含む個々の死刑囚に関わることには答えない。私たちはまず冒頭で、「現在の死刑確定者の人数は何名か」を質問した。これは一般的事項なので法務省は答える。私たちは死刑確定者の人数は常時把握していたので、その人数が減っていれば、執行したことが分かるのだ。
ある時法務省側が間違えて1名少なく答えたことがあった。運動側に緊張が走った。死刑廃止議員連盟に調査を依頼し、何名もの議員が 電話をかけて執行があったのかと問い糾した。法務省は「執行の事実はない」と明言するしかなかった。
ある時期から法務省は死刑執行を公表する様になっている。法務省の秘密主義は死刑行政を円滑に維持するためだと思われるが、秘密主義自体が批判されるなかでより合理的な方策への転換がなされたのであろう。しかし他方で、93年や今回の執行のように、意図的に情報をリークして強権を誇示する傾向も現れているのである。

死刑廃止運動の任務

 今回の執行に際して死刑廃止の側が言わなければならないのは、「事件の真相」という抽象的なことよりも、<なぜ地下鉄サリン事件まで事件を食い止められなかったのか>ということではないだろうか。
 江川紹子氏は『オウム裁判で分かったこと、残る謎』(2015,4,30)で、坂本弁護士一家の失踪後坂本宅からオウムのバッジが発見されたが警察はオウムをほとんどノーマークであり、「事件から3ケ月後、龍彦ちゃんを埋めた地図が警察と法律事務所に送り付けられた。・・・警察は、これを岡崎が送ったものと突き止めた。ところが、おざなりな捜査で済ませたために、遺体の発見に至らなかった。その後、地下鉄サリン事件の捜査では、まさに地図に示した場所から発見されている。」と述べ、「なぜ神奈川県警は、まともな初動捜査を行わなかったのか、この謎は未解明である」としている。江川氏は「最大の謎は『社会の側』」と表現しているが、端的に言って「捜査の実態」である。事件捜査と犯人の逮捕起訴、裁判は単に「犯人を処罰する」ためだけのものではなく、犯罪を防止するためであるはずだ。オウム真理教による事件は、1989年11月の坂本弁護士一家失踪・殺害事件以降も、脱会信者の殺害が続き、94年6月の松本サリン事件そして95年3月の地下鉄サリン事件へと続くのである。そのかんオウム真理教への疑惑も常に浮上していた。未曽有の大事件に至るまでオウム教団に踏み込めなかった捜査の実態はどうだったのか。それは私たち市民一人一人が素直に抱いて然るべき疑問であり、「事件の真相」をいうなら、そして権力に批判的であるならその点をこそ追及すべきだと思う。





1 Comments

There are no comments yet.

Piichan  

オウム事件の死刑執行で私が一番恐れているのは、執行に関わった法務省職員のなかから自殺者が出ることです。

2018/08/31 (Fri) 01:18 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply