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(その1)死刑制度、そして憲法~何が憲法を守ったか 憲法は何を守ったか~

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国会議事堂


【2018年5月19日 くらしにデモクラシーを!板橋ネットワーク討論会『暮らしの場で熟議する憲法』で発題】


I.死刑制度と憲法


 今日は、死刑廃止の問題を切り口にして、今の憲法の状況について発言をして欲しいということです。

 日本の死刑の問題は、憲法とくに戦争の問題と密接にかかわりがあります。
 まず、世界の死刑廃止の現状は、昨年末のデータで、世界で死刑を全面的に廃止している国が106、事実上の死刑廃止国、死刑が制度としてはあるが10年以上執行していない国が36、死刑制度があって、10年以内に執行している死刑存置国が56。これは毎年死刑を執行しているわけではなく、昨年の執行国は23カ国です。トータルしてみますと死刑廃止国が142、存置国が56。7割以上が死刑廃止国になっているわけです。
 人口で言うと、死刑存置国のトップが中国で約13億人、二番目がインドでこれも約13億人。合計で世界人口の25%あり、これを入れるとさすがに存置国の人口数が多くなるんですが、13億人が全部死刑に賛成しているわけではないし、死刑存廃は国ごとに決めるので、国の数で考えたほうがいいと思います。

 死刑廃止国は毎年一つ二つと増えていますが、この流れがどうしてできたのか。
19世紀には死刑廃止国は2カ国だけでした。20世紀に入っても第二次大戦が終るまでに廃止したのは数カ国です。第二次大戦後に急激に増えた。そのきっかけは、まず1945年に国連憲章が出来ます。その冒頭に、二度の悲惨な戦争を経緯したことにふれ、国ごとに民主主義を徹底させなければいけないと申し合わせています。この国連憲章を受けて、1948年に出された世界人権宣言の前文で、「人類社会の全ての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認すること」が、「世界における自由、正義及び平和の基礎である」と書かれ、世界各国が自分の国で、人間の尊厳を守り平等な人権を尊重することを呼びかけた。その第5条「何人も、拷問または残虐な、非人道的もしくは屈辱的な取扱いもしくは刑罰を受けることはない」、その最たるものが死刑だということですね。それを呼びかけただけではなく、人権規約をつくり、スイスのジュネーブに本部を置く人権委員会が組織されて世界各国に働きかけ、死刑廃止国が増えていったという経過があります。つまり、戦争の反省から世界の死刑廃止の趨勢が生まれた。戦争を反省しない国が死刑を残しているということです。

 一方で私たちの日本は、軍隊を持たないという完全な戦争放棄の憲法を持っています。
 国際紛争を武力で解決しないということは、国連憲章で既に謳われていて、国際的な申し合わせになっているのですが、一方で国連憲章は自衛権と集団的自衛権は認めているため、現実には軍隊を持った大国が、集団的自衛権を口実にして弱い国を武力攻撃している。本当に戦争をやめようと思ったら、究極には軍隊をなくすしかない訳で、それを既に規定し、いわば人類の未来を先取りするような素晴らしい憲法を持っている日本が、どうして死刑廃止が出来ないのかという問題があります。

 死刑廃止が中々出来ない現状には、政府のあり方も大きく影響しています。国連人権委員会が毎年、日本政府にも死刑廃止を進めるよう勧告を行うのに対して、法務省は何も応えないのでも反論するのでもなく、勧告が来るたびに死刑を執行しているんです。そこで執行される人は、法務省の居直りに利用されて命を断たれている。ただ、そういうことを許している国民のあり方はどうなのか、ということをもうひとつ考えて見なければならないと思います。

  人間の尊厳は不可侵であって、国家が介入して命を奪うということはありえないということが世界的な、死刑廃止の理由なのですが、日本の死刑廃止運動ではあまり「人間の尊厳」という言葉は聞かない。日本の運動では、「人を殺すな」と言われています。間違っているわけではないが、「人を殺した人をどうするのか」という問題なのです。では日本の運動でも「人間の尊厳」と言えばいいのかというと、おそらくしっくり来ないと思います。

 ドイツ連邦共和国基本法(旧西ドイツの憲法で今は統一ドイツの憲法)はその冒頭第一条が「人間の尊厳は不可侵である」です。では日本国憲法の第一章は何かというと、「天皇」ですね。
確かにその第一条で、「主権者たる国民の総意に基く」となっていますが、冒頭で「日本国民の統合の象徴が天皇」とあって、第二章は第九条の戦争放棄、国民の諸権利は第三章からになっています。これは明治憲法と同じ順番です。明治憲法は戦争放棄がありませんから第二章が「臣民の権利」です。第一章が「天皇」で、その第三条が「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」ということです。
 今の憲法の権利条項は、第三章からですが、「基本的人権」は「(侵すことの出来ない永久の権利として)…“与えられる”」(第11条)となっています。
 フランスの場合も、憲法の前に人権宣言がありますが、そこではやはり「人間に備わった、譲り渡せない、侵すことの出来ない権利」というふうに記述されています。

 文面だけの問題ではなくて、その中で生活してきた私たち国民の意識がどうだったのかということなんですね。死刑廃止運動は’80年代に全国的な運動になるのですが、このときは少し違いました。まだそんなに人数は多くなかったが、関わっている人たちの殆んどが、具体的に死刑囚を支援していました。そこで言われていたのは、「死刑囚と共に生きる」ということでした。これは永山則夫の裁判闘争から出てきた言葉でした。

 1981年に高裁で減刑になった永山裁判は私が離れた後最高裁で逆転されますが、高裁減刑のインパクトが大きく、死刑廃止運動が個別死刑囚支援を軸に広がり、運動参加者が死刑囚に向きあって「死刑囚と共に生きる」と言った。これは運動がつくり出した言葉で借り物の言葉ではなかった。主体的に自分達の論理を作り、言葉を獲得していくということが大事なのではないか。そういうことを踏まえて、では平和憲法に対して、日本国民はどうだったのかということを、一つの問題提起として私なりにふり返ってみたいと思います。


(その2)に続く

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